ひでじろうは、私の祖父の営んできた会社、加藤秀次郎商店から取った私のペンネーム、この10年ほど使っている。私は、海外と蜜に接するジャパン21の代表をこの13年間務めている。その分、普通の日本人と異なる部分と、それ故に日本を愛する部分が交錯していると自覚している。日常の生活から、感性の趣くまま、とりあえずブログなる手段を通じて、書いてみようと思う
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当社の場所は、恵比寿駅と代官山駅のちょうど中間、恵比寿の繁華街から10mほどの坂を上ったところにある。近くは、住宅と小さなブティックなどが散在する静かな場所、公園や学校があり緑も多い。そんな場所に60坪ほどのオフィスがある。季節が良いときは、窓をあけて仕事ができる快適な空間だ。恵比寿と代官山のどちらも徒歩5分圏内、昼飯のメニューには苦労しない。

設立は、1998年、今年がちょうど10年目になる。ハイテクバブルの崩壊後、2年ほど赤字を出したが、この5年間は、利益を計上しており、堅調な収益をつづけている。創業以来、無借金経営で、2002年には、日本証券業協会のグリーンシートに登録し、4半期決算を公開している企業である。創業後、2-3年で実質終わってしまう企業が多い中で、10年間続いてきたのは、自分で言うのも何だが、良いお客様にも恵まれ、「運と実体」のある企業である証明と思う。

当社の取り扱っている製品は、「固有名詞のない製品」が多い。「俺たちだけの商品」、「世界唯一の商品」なんて言うと、聞こえは良いのだが、実はここに難しさがある。
 
●    1980年代の後半、日本では公衆電話が発達していたので、ケータイ電話なんていらないといわれていた
●    OSという、名前が無かった頃、マイクロソフトは、それをどうやってそれを説明したか?
●    テレビ電話なんて、30年も昔から言われているけど、売れたためしがない。(少なくともコンシューマには)
 
如何に世界の良い仲間と付き合って、自分の信じられる技術・製品を選んで、自信を持って説明して、市場の反応を見ながら説明方法を変えて、限られた時間と予算で「成果」を出す。実にチャ連ジング、面白そうでは在るが、、、大まかな時間軸は、3ヶ月で市場が見える、ある程度案件が特定できる、6ヶ月くらいで、結論が目安となる。(実際はかなり難しい、理想論の部分も勿論ある。)

こんな仕事に興味が在ったら、hidejiro@japan21.co.jp までメールして欲しい。

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私どもの会社、ジャパン21は、いつもスタッフの募集をしている。現在は、10人ほどの規模だが、ひょっとしたら日本で一番面白い会社ではないかと思っている。私自身が「面白いことを楽しくやる主義」で、自分で面白いと思ってやっているのだから、仕方がない。とは、言うものの、「面白い」と感じるかどうかは、その人次第、ここに葛藤があるのも事実。最初は、面白いと思っていても、次第に難しい問題に突き当たり、挫折するケースも多い。

小さい会社は、何でも出来る。何でも出来る反面は、何でも自分でやらなくてはならない。だけど、それをやり遂げれば、「自分の作品」を作り上げたような満足感がある。

パートナーは、世界のハイテク企業、イスラエルの会社が多い。この連中もまた、小さな会社、100人規模の会社は大きいほうの属する。

特定の技術がある、それを製品にするアイデアがある。それに人が集まって経営陣が出来る。それにエンジェルやベンチャー・キャピタルがお金を出す。

世界の市場を見る、日本のマーケットが面白いと思う、そうなると日本に「相棒」が必要となる。そうなると、私どもに声をかけて来る。昔からの友達も多い。

話がまとまると、一緒に日本のお客様を回る。通信事業者、ISP,システムインテグレータ、家電メーカー、情報機器メーカー、商社、代理店、コンテンツプロバイダ、ソフトウェアベンダー、半導体メーカー、いろいろとご意見を賜る。

そんなことを一緒にしながら、ビジネスを組み立てていく。場合によっては、自分たちで販売する。

こんな仕事に興味が在ったら、hidejiro@japan21.co.jp までメールして欲しい。職種は問わないが、プロ意識と仕事への熱意がないと多分余り良い結果にならないと思う。

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 海外のベンチャー企業の連中と付き合っていると、日本では考えられない様な、状況に遭遇する。子供を幼稚園に送っていくので、後一時間待ってくれ、母親の体調が悪いので、今日は会社にいかない、女房を空港まで送ってる途中、どれも平日の昼間だし、会社では、VPレベルのちゃんとしたポジションで、責任ある仕事をしている。

要は、仕事の成果さえ出していれば、後は基本的に自由、その代わり、成果が期待に届かなければ「サヨナラ」、もっと言うと、実績を上げないで、理由のない「サヨナラ」を繰り返していると、その人自信の評価が下がり、再就職先も見つからなくなる。インタビュー>>職務のオファーを受ける>>その仕事で実績を上げる>>プロモーションされる>>更に上のポジションを社内外で探す、これを3-5年ごとに繰り返す。そのプロセスで、その人の客観的価値が決まってくる。客観的価値は本人の責任だから、その代償として自由があり、柔らかい雇用形態となる。

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私が新入社員だった頃、製造業に入社したすべての社員は、QCC(Quality Control Circle)或いは、TQC(Total Quality Control)活動なるものに、強制的に参加させられた。会社のすべての職場で、品質管理サークルなる自主的な活動を行い、自分たちで解決できる範囲の品質、コストを中心に業務改善を行うというものであった。
 
昼休みや時間後、1-2時間を、職場の仲間と会社が支給する「お小遣い」程度の手当てでのお菓子を食べながら、改善活動をし、一年に2-3回は、TQC大会なるものがあり、模造紙に書いた、チャートを使って、半強制的に発表会を行った。(当時は、当然、PCとプロジェクタとパワーポイントはない、その後、OHPにはなったのは記憶しているが、)
まあ、若かったこと、時間外の活動であったこともあり、個人的には、批判的であったのを覚えている (但し、当時は、こんなことは当然口が裂けても言えなかった。)
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/tqc.htm


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サラリーマンとして、長い間、仕事をしてきた。最初は、自動車部品会社の特許戦略の担当として7-8年、同じ会社で、海外ビジネスの開発担当として、4-5年、米国の通信機企業の新規事業開発担当として約10年、イスラエル企業の日本担当VPとして、2年、計24年ほどになると思う。基本的に、定型業務はやったことがなく、常に新規の製品や事業を立ち上げてきた。簡単に言うと、「立ち上げ屋」である。この殆どの期間、「年功序列」の色彩が強い組織であり、立ち上げを成功すると、誰か他の人の仕事になり、また新しい立ち上げの担当となった。いつもこのことが不満であり、そのために転職をした様な気もするが、目の前に新しい事業機会があると、それに飛びつき、基本的にはすべて成功させた。
 
上司らしい上司は、あまり記憶になく、自分で計画し、社内で応援してくれる人を見つけ、相手企業の中にも仕事仲間を見つけ、「楽しく」やっていると結果がついてくるのが通例であった。日本が成長の過程にあった良い時代であったことも確かだが、「仕事を楽しむ」は今でも同じで、逆に言えば、仕事が楽しくなくなった時、その仕事を辞めている。(会社を辞めるのとは、また別)

連絡先: hidejiro@japan21.co.jp

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1951/04/08
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連絡先: hidejiro@japan21.co.jp
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