ひでじろうは、私の祖父の営んできた会社、加藤秀次郎商店から取った私のペンネーム、この1年ほど使っている。私は、海外と蜜に接するジャパン21の代表をこの8年間務めている。この25年間、テクノロジーの畑で事業開発と運営の仕事をしてきた。通算の海外出張は150回ほど、その内、米国が50回、イスラエル、50回、その他、50回が概略。海外からのゲストの対応を含めると、半分は日本語で生活し、半分は英語で生活している。その分、普通の日本人と異なる部分と、それ故に日本を愛する部分が交錯していると自覚している。日常の生活から、感性の趣くまま、とりあえずブログなる手段を通じて、自己の表現をしてみたいと思う。
「閉鎖しろ」と簡単に言われても、販売したからには責任がある。ワランティー、サポート、クライントソフトの提供、日本は、VDOに取っては、最も成功した市場であり、売り上げの半分近くを上げてきた。日本のお客様の信用の上に成り立ってた売り上げで、この期待を裏切ることはできない。
幸いにも、日本法人は、売り上げを上げる組織であったので、多少のお金もあったし、イスラエルの本社もサポートを続けることを了承してくれた。結局、自分の会社、ジャパン21株式会社を設立し、スタッフ、サポート、顧客、一部製品の販売を継承し、独立することになった。当時いたスタッフも、付き合ってくれた。VDOのお客様が全て使い終わるまで、4年の時間がかかった。イスラエルの連中も、必要があれば、個人的にサポートしてくれた。
新しいビジネスとして、japan business outsourcing serviceと定義した。要は、日本法人代わりのサービスを丸受けして行うものであり、イスラエルや米国の友人たちが、興味を持って、サポートしてくれた。
こんな言い方をしていた。
● 日本は、あんた達が直接やってもなかなか成功しない
● スタッフのリクルートは難しいし、良い人はなかなかいない
● いても、大きな組織に属していて、大きな組織の人は、ベンチャーでの働き方を知らない
● 営業も、技術も、サポートも、全部任せなさい
こんなサービスは、当時、他にはなかったものと思う。
VDONET社は、当時、バリバリのネット企業、インターネットの回線で、ビデオオンディマンド、ビデオブロードキャスト、ビデオメール、ビデオテレフォニーなどのPCベースのソフトウェアを開発、供給する企業だった。本社は、イスラエル、最大で、約150人程度の陣容(この当時のネット企業としては大きい。)
日本国内では、良いお客様に恵まれ、NTT、NEC、富士通、ソニー、警察庁、電通、長銀、日経新聞などの大手のお客様にお世話になった。プロ野球中継、アイドル、アニメ、映画予告編、コンファレンスの中継など、面白いイベントが沢山あった。後は、アダルトビデオのお客様、当社のサーバーで千単位のコンテンツを入れてくれた。今を思えば、小さなフレーム(QCIF以下)で見てくれたお客様が沢山居たとのこと、VDOの技術(コーデック)は、帯域当たりの品質が世界一との評価をいただいた。
残念なことに、VDONET社は、1998年8月に閉鎖となる。同社の株主でもあるマイクロソフト、オーディオ業界のストリーム技術のトップ企業である、リアルオーディオ社などが、力に物を言わせて市場参入してきたのが主な理由である。同社のコア技術と技術陣の一部は、米国シトリックス社に買収されて、フロリダに移り住んでいった。
恵比寿駅と代官山駅の中間地点にオフィスを構えたのが、1996年の9月、以来、10年と半年くらいになる。当時の私は、イスラエルのインターネット・ハイテク企業VDONET社の日本担当VPとして、活動を始めたところだった。
自宅が東横線の日吉、一本でいける中目黒、恵比寿、広尾当たりを中心にして、オフィス探しをした。まあ、創業時なので、5-6人のワーキングスペースと、会議室、30坪程度をめどに探していた、予算は、40-50万円くらいだったと思う。10個程度の候補を見て回った後、であったのが、その後、9年ほどいついてしまったオフィス、歯医者さんが開業されていた場所だった。大家さんは、オフィスにリノベーションするのなら、その費用を出してくれるとのこと。予算を少しオーバーしていたが、本社に掛け合い、承認を貰った。
当時の考え方としては、
● 気持ちよくすごせる
● お客さんが喜んで来てくれる
● 従業員が気に入ってくれる
● 24H仕事をしても、苦痛でない
今でも、この考え方を変えていない。
今でも、この考え方を変えていない。