読了して、本当に様々な、深い感慨にふけってしまいました。江戸時代末期から、日本の医学の黎明期、漢方しかなかった日本の医学に、オランダさらにドイツという、近代医学を持ち込むのに活躍した人々が主人公です。
幕府のおかかえ医師である松本良順。権力の中枢にいながらも「医者は、患者に対して平等だ」と唱え、日本で最初の医学学校をひらき、ポンペに学びながら日本に科学を導入していきます。やがて彼は、瓦解していく幕府と運命をともにしていくのですが、その中で、新撰組と関係を深め、戊辰戦争に参加して最後は逮捕されます。
良順の子分である佐渡出身の伊之助は、語学の天才で、オランダ語、ドイツ語、英語、フランス語、中国語、ラテン語をすぐに覚え、自由にしゃべることができました。外国人の言う言葉を、そのまま漢文に書き下して翻訳していきます。まさに天才で、外国の技術を吸収するのに不可欠な人物なのですが、人格的に崩壊しているので、行く先々で、みんなに嫌われます。嫌われ方も、味噌汁に釣り針を入れられたりとか、とにかく半端じゃあない。本人は嫌われるつもりはない、というのが、この人物の一貫した描写になっていて、非常におもしろい。とても愛嬌のあるキャラクターとして描いてあります。
関寛斎は徳島の城勤めの医者で、その技術と知識で日本医学会を背負っていくはずの人なのですが、まわりの医学関係者が次々に要職につき、出世していく中、自分はすべての持ち物や財産を捨てて、最後は極寒の北海道へ入植します。
「医術を栄達や蓄財のたねにする医者は、ざっとみたところ、畜生のようなやつが多い」
まあ、なんと過激な言葉でしょう。
怪物的な人物ばっかりでてきます。このころの人たちっていうのは、本当に純粋だったということでしょう。純粋で単純だったからこそ、世の中を動かすちからになっていく。明治のこの時期といえば坂本竜馬なのですが、2行くらいしかでてきません。様々な人間が、それぞれのフィールドで時代の変化に対応していく。そして、日本は諸外国の植民地にもならず、独立を守れた。本当に「明治維新」という現象は奇跡だったのだと思いますね。
この小説のテーマのもうひとつは、江戸時代からの差別を考えていることです。幕府が瓦解していくというのは、そのまま差別構造も破壊されていく過程でもあります。そもそも科学的にあまり根拠をもちにくい「漢方」という医学スタイルを維持するのに、権威とか差別構造とかが必要だったんですね。
「江戸的身分制は、ほとんど数学的としかいえないほどに多様かつ微細に上下関係の差が組み合わされている。ひとびとは相手が自分より上か下かを即座に判断し、相手が下ならば自分の体まで大きく見せ、上ならば体を小さくして卑屈になる。そういう伸縮の感覚が、江戸社会に暮らす上で重要な芸になっていた。」
ところが、西洋医学がはいってきて、科学的なものの見方や知識が要求されてくると、「人はすべて平等である」という、当たり前の結論に達する。司馬遼太郎の歴史観は、「司馬史観」とも呼ばれており、ときに偏りがちであるという批評もあります。でも今回は、幕末や医学というだけでなく、「人の世」ということについて、非常に考えさせられました。かたい文章なのですが、読むにつれていつの間にか涙がにじんでくるくらい、ついついひきこまれて、電車で降りるはずの駅を乗り過ごしてしまうほどの(しかも2回も)小説でした。