神戸ではたらく中年エンジニアのブログ

震災後に神戸で働きだしたジジイです。DBシステム、プログラムに機械装置、なんでも作ります。

「神は銃弾」ボストン・テラン

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たまに、ハードボイルド・ミステリーてやつに、浸りたくなるときがあります。で、本屋さんをざあっと見渡して、いくつか拾ってくるわけです。平積みになっていると、やはり目に付きますし、「ベストミステリー1位!」とか「CWA新人賞授賞」とか帯にあると、少なくともはずれじゃないやろ、と思って買っちゃいます。

というわけで、今回ははずれました。

内容は、あるカルトの指導者に娘をさらわれた刑事が、それをとりかえすために全てをなげうってカルト教団接触していく、てなもんですね。
ドラッグ、レイプ、虐殺、なんでもありです。まあ、最近は映画でもなんでも、とにかく残酷に、エログロになっていますので、ちょっとぐらい怖くても読めないことはないのですが、「もう読みたくない」と思って、やめちゃいました。
「あのメス犬は血まみれのままクリスマス用に包装して家に置いてきた」「ぴかぴか娘のほうは連れてきた。これからたっぷり愉しませてもらおうと思ってな。注射をいっぱい打ってやって。ここにいる若いやつらに、彼女のプッシーを使ったゲームをあれこれ考えさせてやろうと思ってる。犯して、ビデオを撮って・・・そうだ、ビデオができたら、おまえとでぶ公にひとつコピーして送ってやろう」
――こんなんばっかり。これはきっと、文章が悪いのだと思います。
残酷で、夢も希望もない、アンハッピーエンドだとしても、それを作家自身が責任を持って語っているのか。そういう点が、大事なんだと思います。例えば、トマス・クックの作品なんかは、現実の犯罪の救いようのなさを取材したりして、そんな内容でも最後まで読ませるなにかがあります。暗くて暗くてどうしょうもなくて、最後まで明るくならないけど、なにか残る。そんな感じで。
この作品に関しては、ただ単に作者が登場人物をいたぶっているだけで、読んでていやあな気持ちになりました。救いがない、とかそれだけでなく、それが作者の喜びなのでしょうね。こういうのは嫌いっす。
もし後半にどんでん返しがあって・・・みたいな期待も、「別にいいや」という気持ちになって、しまいました。559ページ分の、361ページまで読んで、あきらめました。(訳が悪いのかなあ)